来て!見て!たいしん

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白河市大信地域について

明治22年に下小屋・隈戸・大里が合併して大屋村が誕生。また増見・町屋・上新城・中新城・下新城・豊地が合併して信夫村ができ、ふたつの村が出来上がりました。

昭和30年には大屋村と信夫村が合併して大信村が発足。平成17年には大信村の他に白河市・表郷村・東村が合併し、新「白河市」がスタートを切っています

位置・地形

大信地域は白河市北部に位置し、東西約19km、南北約7kmと横長です。東を矢吹町、北を天栄村、南西を西郷村、南東を泉崎村に接しています。面積は80.77平方kmで、このうち77%が山林となっています。西部には那須山系の山々が連なり、権太倉山(976m)は白河市の最高峰です。阿武隈川水系の隈戸川と外面川が西から東へ流れ、河川沿いは美しい田園風景が拡がっています。大信出身の芥川賞作家である中山義秀は、この風景を「世界中で唯一の一番なつかしい天地(ふるさと)」と書き記しています

気候

白河市の標高は300m程度で、夏は涼しく湿度が低い高原の気候です。真冬の平均気温は0.3 ~ 3.4℃程度ですが、「那須おろし」と呼ばれる北西の季節風が吹く影響で、体感はそれより低く感じます。12 ~ 3月にかけて積雪がありますが、根雪になることはあまりありません

たいしんの3つの魅力

ほっとする里山の風景

白河市北部に位置する大信は、福島県南部に位置し、首都圏からもアクセスが良い「みちのくの入口」です。豊かな田園とともに、山・清水など、自然をゆっくり満喫できます

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地域の営みを知る史跡

大信の特色のひとつに、地域の人々が大切にしてきた旧道や御堂・風習が多く残されていることがあり、農村の暮らしを垣間見ることができます。また、水力発電所の堰など、近代産業遺構もあります。

歴史好きには興味津々の「地域の営み」が発見できる!

何より「人の暖かさ」が魅力

農村で助け合いながら暮らす地域の方々は、優しくてユーモアたっぷりな方ばかり。ツアー中、何気ない雑談をしていると元気をもらい、笑顔になること請け合いです

地域の優しい「お父さん」「お母さん」に出会えます!

たいしんの歴史

大信の自然は文化を育み、いにしえの時代から人々の暮らしを支えていました。そんな歴史の一端を紹介します

原始時代

大信では縄文時代の遺跡が点在しています。町屋遺跡では、県内最大の新潟県糸魚川地域産と推定されるヒスイ製の「硬玉製大珠」や、土器に施した縄文文様を工具などで磨り消して完成させた「磨消縄文土器」などが出土しています。その他にも、縄文時代初期の集落の遺跡が出土しています

古代

8世紀頃の律令制下では、陸奥国(福島県と宮城県南部)の地域の一部でした。県南地域は白河郡と呼ばれ国の最南端にあり、陸奥国で最大の郡で、隈戸川流域では集落が発達しました。今でも鹿島様と呼ばれる飯豊姫神社など、昔ながらの地域信仰を窺わせる神社もあります

中世

鎌倉時代以降は、源氏の家臣として軍功のあった結城氏(白川氏)として台頭します。しかし中世の大信は豪族勢力が入り乱れる一帯でした。豪族たちが築いたとされる地形を巧みに利用した城館跡が多く残されています

江戸

戦国時代には、伊達氏、蒲生氏、上杉氏など時の権力者の意向により統治者が変わっていき、江戸時代には丹羽長重が白河藩の礎を築いていきます。大信は白河から会津へ抜ける重要な街道として整備され、上小屋地区は宿場として参勤交代の際などに利用される宿泊休憩施設が設けられました

近世

明治時代には、農業とともに馬の飼育、木炭や石材の生産は、県南地域の中で大生産地でした。大正時代には各村の有志が出資して、隈戸川の流れを利用した水力発電会社を設立。点火灯数1200余りに通電されました。現在は水をせき止める堤跡があります

たいしんの行事

中新城 数珠繰り

五穀豊穣を願い、近隣のお堂などで巨大な数珠を地域の人々で念仏を唱えながら回します。最後は数珠を各参加者の背中にこすり付けて、無病息災を願います

十日市 提灯祭り

火の神として信仰される愛宕様の祭り。6 ~ 12歳までの子どもに提灯の竿をあずけ、笛や太鼓のお囃子と共に村内を歩きます。その後、青年が裸になって隈戸川に身を清めます

盆踊り

大信中新城地区で行われる盆踊り。境内に櫓を組んで、老若男女が豊作を願いながら踊ります。昔ながらの農村の夏の光景を味わえます